戦後日本外交史
国際関係史
日本政治史

法学部 政治学科

若月 秀和教授

Hidekazu Wakatuki

日本外交を問う国際政治学の論客米ソ冷戦後半期から見えてくるもの

若月教授は、2006年に『「全方位外交」の時代』、2017年に『冷戦の終焉と日本外交』という単著を刊行。冷戦の後半期で日本の国力が頂点を極めた1971〜89年の約20年間に渡る日本外交の流れを鳥瞰・分析するという力業を成し遂げています。その時代の日本外交からいったい何が見えてくるのでしょうか。

「全方位外交」というキーワード
若月教授の『「全方位外交」の時代』『冷戦の終焉と日本外交』は、どちらも政府関係者へのインタビューや、外務省への情報公開請求、米国の複数の大統領図書館などから膨大な史料を収集・分析した労作であるばかりか、その考察範囲も、前書が佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸の各政権、そして後書が鈴木善幸、中曾根康弘、竹下登政権と多岐に渡っています。

そんな中、両書を貫く重要なキーワードが「全方位外交」です。これは、1970年代に福田首相が標榜した外交方針で、日米関係を最重要視しながらも、自由主義体制か社会主義体制かにかかわらず、いずれの国々とも良好な関係を保つ努力を重ね、協調的な国際環境の形成をめざすというもの。一方、今日の日本の外交方針とされるのが、自由民主主義などの「普遍的価値」を共有する国々との関係を重視する「価値観外交(価値の外交)」だけに、いわば対照的な外交方針ともいえます。

イデオロギーに固執しないバランス感覚
「全方位外交」とは、よく誤解されるように八方美人的な「等距離外交」とは異なります。当時は、米ソ冷戦がデタント(緩和)から新冷戦(先鋭化)へ向かう過渡期であり、また中ソ対立や米中和解の影響から、日本を取り巻くアジア情勢も分極化が進む時代でした。

そこで福田氏は、佐藤政権末期の外相として、まず「外交の多角化」に着手し、首相就任後は米中両国からの圧力を受けながらも、ソ連や、共産化するベトナムとの関係に意を砕いて、こうした分極化の流れに抗していきます。また、米国の戦略的意図を汲んで、中国との平和友好条約締結を行う一方で、日ソ関係の安定も心がけるなど、その絶妙なバランス感覚を若月教授は高く評価しています。

一般に福田氏といえば、岸信介氏の直系という政治的系譜から「タカ派」のイメージで語られがちですが、「イデオロギー的な硬直性を見せることはほとんどなかった」といいます。中国や北朝鮮との関係で、政治・社会体制が異なるがゆえの感情的嫌悪が何かと吹き出す今日だけに、「全方位外交」が示唆するところも大きいでしょう。

冷戦後期の中曾根外交からの示唆
中曽根首相が1980年代に展開した外交もきわめて示唆的です。当時は、新冷戦といわれるほど米ソ対立が先鋭化し、極東ソ連軍の著しい増強から「ソ連脅威論」が語られた時代でした。そこで中曾根氏は、米国や西側陣営との結束を固め、ソ連を包囲するかのような構えを見せます。とりわけ1983年のウィリアムズバーグ・サミットでは、INF(中距離核戦力)を西欧に配備しようとする米国の立場を支えるべく論陣を張ります。しかし、こうした発言の裏には、実はソ連を追い込むことで、逆に対話のテーブルに引っ張り出そうという周到な戦略がありました。若月教授は、外務省の史料から、そうした中曾根氏の戦略を裏付けています。中曾根氏が首脳会談でレーガン大統領に、「日本の安全保障政策の基本は、第一に日米安保条約を堅持すること、第二に、中ソ対立の状態を維持しておくことである」と語ったこの短い言葉にも、中曾根氏の戦略家としての一面が凝縮されていると若月教授は指摘します。

1980年代後半の外交の混迷と安倍外交
中ソ対立と日米安保という二つの条件に支えられ、中曾根氏は華々しい首脳外交を展開。

「西側の一員」という旗印を掲げながらも、結果的には「いずれの国々とも良好な関係を保つ」という、「全方位外交」を実質的に達成していたと若月教授は見ています。

今日の安倍晋三首相も、「中国脅威論」が取りざたされる中、中曾根氏がかつてソ連に対して行ったごとく、中国を取り囲むかのように精力的な首脳外交を重ねています。しかし、中国を牽制しつつも、巧みに交渉のテーブルに引き出して関係改善を図るような複眼的な思考が安倍氏に存在するのかについて、「包囲網の形成が自己目的化しているように見える」と若月教授は疑問を投げかけます。

ちなみに、1980年代中盤以降、中曾根氏は米ソ関係改善の趨勢に立ち遅れぬよう、対ソ関係打開を積極的に試みます。しかし、官僚組織は「新冷戦」の思考枠組みにとらわれがちであったし、おりからの日米経済摩擦への対応で忙殺されるまま、1987年に退陣。後継の竹下氏は官僚組織に依拠して外交を展開したうえ、消費税やリクルートなど内政の混乱で消耗し、日本外交は徐々に戦略性を欠いたものになります。竹下内閣が崩壊した1989年には中国で天安門事件が発生するとともに、中ソが和解して、冷戦それ自体も終焉し、対ソ牽制をもとに日米安保と日中友好とが並立できた時代も終わります。日本外交にとって、より困難な時代の始まりを迎えます。

硬直したナショナリズムや情念がいかに対外政策を阻害するか、そして目前の国際状況を固定的にとらえないことの重要性が、まさに過去の日本外交の示唆する点だと若月教授は語ります。現在における米中両国間の力関係の変化や、緊迫化する朝鮮半島情勢を見ると、その重要性を痛感せざるをえないと教授は指摘します。

Profile

法学部 政治学科
若月 秀和

1970年生まれ。2002年立教大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。政治学博士(立教大学)。立教大学法学部助手を経て、2003年北海学園大学法学部講師、2007年同准教授、2011年より現職。主な著書に『冷戦の終焉と日本外交』(千倉書房、2017年)、『大国日本の政治指導』(吉川弘文館、2012年)、『「全方位外交」の時代』(日本経済評論社、2006年)など。

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